2008年12月02日

RANGSTEENの歌詞

RANGSTEENは日本語で歌っています。

日本人だから日本語で歌うべきだなどとは、おれはまるで思わないですし、実際自分のバンドではずっと英語(まがい)でやっています。

ロックバンドにおいて、歌詞は重要でもあるし重要でもない、というのがおれの考えです。どっちつかずと思われるかもしれませんが。

重要だという方は説明が要らんと思います。重要でないという面は、歌詞方面にばかりかまけている日本のバンドに限って、肝心なサウンドが薄っぺらいのが多いこと。少なくともこれまではその傾向が強かったこと。さらに歌詞というのはそれを受け取る側の個々の人間への反映の仕方にこそ価値があるわけで、バンドの方がそこに永遠性を持たそうとか、しつようにいじくりまわしてまで「伝えよう」とする必要はない、というのがおれの考えだからです。

歌いたいことはサラリと書くのがいい。むろんおれ個人の志向ですが。

松屋あたりにメシを食いにいくと、最近のJポップとやらが大きすぎるほどの音量でかかっていておれなどは辟易しますが、日本語だからイヤでも耳に入ってきます。そうやってメシを食っている間にかかるひと固まりの曲の歌詞。それがまたどれもこれもが醜い日本語で自分(ら)の幸せや不幸せを見せびらかすような内容だったり、ただただ無責任にガンバレを連呼するものだったり、昨日おれがこう言ったらおまえがこう返してきたから結果おれたちすれ違い〜、のようなどうしようもないものばかりで、本気で耳をふさぎたくなります。
歌詞である以前に、内容として日本語の使い方として「何だか汚い」ものが多いのです。

しかし、最近聴いて心底グッときた歌詞もあります。ザ・ノウ『退屈ゲーム』がそれでした。
そして今回のアルバムに収録されるRANGSTEEN"BABY NO CRY""MINUTES"がそれでした。

『BABY NO CRY』

答えなんて理由なんてないさ 行く先なんて行くあてなんてないさ

ザラついた街カラッポに見えた一人の夜は No baby cry No baby cry

言い訳なんて理屈なんて無いさ 行く先なんて行くあてなんてないさ

誰か居るのにカラッポに見えた一人の夜は No baby cry No baby cry


『MINUTES』

音のない通りでも つまらねぇ街にいても

あふれる5分弱のRock あふれる2分弱のPunk Rock

Shakin' now Wa wa walking on a way 空回りした胸を突き刺す "Yeah"

絡みついた欲望引きずって


おれのアイする昔の作家が、獄中から、詩を書き始めた実の妹さんに「詩の書き方」をアドバイスする内容の手紙を送っていて、それが残っているのですが、こんな内容です。

「詩をかいたそうだがよく勉強するのがいいでしょう。詩は説明でないということが大切だね。 笑い声、ほほえみ、汗、泪、あくび、そんなものに似ている。
汗は何も語らぬが、語らずして額に浮かぶことにおいて、地におちることにおいて一切を語っている。
詩は何ごとも説明せず、しかし一切を語るものでありたいね。シナの学者もそんなことを言っている。
詩とは言葉の余りで、言葉で説明出来ず、オオとかアアとかいう声になって出て、それが自然と節奏 を持って来るところのものだとかいう風に言っていた

"BABY NO CRY""MINUTES"の歌詞は、まさに「言葉の余りで、言葉で説明出来ず、オオとかアアとかいう声になって出て、それが自然と節奏 を持って出たもの」だとおれは思います。グッとくるのです。

もの凄いサウンドに乗っかったこういうロックの歌詞におれは殺られるのです。

ぜひ聴いてほしいです。

FIFI
posted by poorcow at 03:07| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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